「我思う故に喫茶店あり」

喫茶店とは何のために存在するのだろうか。私が思考する場として存在する 
のだとしか思えなあい!

考えながら散歩していると、ちょうどいいところに喫茶店がある。ほどよい 
音量の BGM と、互いに錯綜してもはや意味を成さない会話の断片達。珈琲を 
すすり、これらのノイズに身をまかせながら、それを心地よい driving force 
としてさらに思考に集中していく。また、歩いている時にはできない「書 
く」「読む」という作業もここなら出来る。思考を整理し、懸案の計算を進 
める。あるいは論文を読み、原稿を書く。頭脳が疲労し、肩こりのような状 
態になったところで店を出る。歩き、電車に乗って、また歩く。肩こりはほ 
ぐれ、あれこれさまよった思考の街路を一望のもとに眺望できる峠へと自ら 
を誘う。ふと、思いもかけない閃きの瞬間が訪れ、それまで見ていた光景が 
一変する。真実の世界なのか、それとも疲労ゆえの幻影に過ぎないのか。そ 
れを見極めるためには、さらに深く思考の世界に入りこまなくてはならな 
い。どこか落ち着ける場所はないだろうか。それに少しのども乾いた。する 
とそこには、まさに用意されていたように、おあつらえ向きの喫茶店があ 
る。

今日も大学までたどり着けませんでした。 

(一部に願望を含む。)


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